ジョン・フランソワ・シャンポリオンによって創設されたこの部門は、2つのコースに従って古代エジプト美術を展示しています。一つは古代エジプトの始まりからクレオパトラまでの年代順のコース、もう一つはエジプト文明の幾つかの面を際立たせたテーマ別のコースです。ここに展示されている幾つかの作品は聖書に関連しています。

                           

 ►   エジプト・ファラオ時代のほうへ階段を上ってください。

 

犬の小像  E 27203  シュリー2階ホール20展示7
 

小さな犬のこの像は、犬座の最も輝く恒星ソティス、もしくはシリウスを思い起こさせます。それは7月の半ばごろ空に再び現われました。この現象は洪水の到来に先行したため、ナイルの二つの増水の期間の最初に当たる1月1日が祝われました。
 

石碑「偽扉」未完成  C 46     ホール7展示8

メリの「偽扉」全体  B 49   ホール22 
 

これら偽扉の石碑は、死者の魂が生者の世に戻って来ることを可能にすると見なされていました。新年の日付けは神殿で変わり、国々へと続きます。緊密なそして意外な類似が、この祝いに関連した習慣に常に見られます。

書記座像

 

書記座像  E 3023 

ュリー2階ホール22展示品10

 

この有名な極彩色の彫刻は、読み書きが知恵と統治する術の土台と見なされた社会の象徴です。

書記官はここで口述されていることをパピルスの巻き物に書いており、濃縮した顔は胴の環の中にはめ込まれたクリスタルの目のため光り輝いています。

その顔の骨組みと脂肪のついた腹部は特別な配慮がなされていて、この特徴は人物の行政上の高い地位を意味しています。
 

エジプトの歴史は、ファラオや神々を不快にするすべての年代記を除き去ることを躊躇しない祭司たちに手ほどきを受けた、書記官たちによって書かれました。

これは出エジプト記12-14章で言及されている出来事が、エジプトの年代記の中に記録されていないことの説明となっています。

 

プロパガンダによってこのように真実を歪めるのは、歴史の中でこれが最初ではありません。反対に、モーセのような聖書筆者たちの率直さは正直さは、聖なる書物の信ぴょう性の一つの証です。イエス・キリストによれば「あなたのみ言葉は真実です。」-ヨハネ17:17 。 以下の作品もご覧下さい。
 

神官文字の文書  E 11006   シュリー1階ホール6展示3

パピルスに書いた文書  E 25360  シュリー1階ホール6展示1
 

ヘブライ語の本にあたるセフェという語は、「書士」や「写字生」を意味する名詞ソーフェールに類似しています。神殿の弟子たちだけが聖なる文字、ヒエログリフを学びました。それ以外の人々は、一般的な文字、神官文字の初歩を学びました。聖書という言葉は、ギリシャ語のビブリア「小さな書(複数形)」から来ており、パピルスの茎の芯の部分を表す語から派生しています。今日原書は全く存在していません。しかし、ヘブライ語聖書の6000ほどの写本の比較に基づく研究は、本文が忠実に書き写されてきたことを明らかにしています。
 

聖書の普及を助長し、またそれらの参照を容易にするために、一世紀のクリスチャンたちは、羊皮紙の巻き物から紙の本に置き換えて、コーデックス(冊子本)の使用と発行の分野で草分け的な業を行ないました。最も古いクリスチャンの写本は、エジプトの乾燥した気候下で保存され、現在よく知られています。聖なる書物の保護とその伝達にすばらしい配慮がなされた45ことは、「草は枯れたとしても、わたしたちの神のことばは永久に存続する」ことを確証しています。-イザヤ40:8;ペテロ第一1:25

                           
                           
   

以下の作品もご覧下さい。

 

聖修道院-キャサリン

 
inv 3689  



ュリー2è ホール 71



 

シナイ山と見なされているジュベール・ム
ーサのふもとのこの修道院で、コーデックスとして今日知られる
4世紀の聖書写本が発見されました。

これは、ギリシャ語聖書の最古の完全な写しのひとつです。

                           
                           
                           

死海写本の壺  AO 20147  
 

1947年に、ベドウィン人の若者がクムランの洞くつの中から複数の土製の壺を発見しました。その1つがルーヴルに保存されています。これらの集積物は、200以上の巻き物の断片とエステル記を除く、ヘブライ語聖書のすべての書を含んでいました。保存状態の良かった皮の巻き物の一つはイザヤの預言の書で、聖書の他の巻き物と共に発見されました。それは、よく知られているマソラ本文の現存する最古の写本よりも約1000年も古いヘブライ語写本でした。写本の比較は、聖書が大きな変化をこうむらなかったことを明らかにしています。つづり字や文法上の構造の点で多少の相違はあっても教理上のものではない、これらのとるに足りない異文は、ユダヤ人の書記たちが極めて入念かつ忠実な伝達を確実に行ったことを確証しています。

 ►  Пройти до зала  25

       

アクナトン王
 

       
       
                           

アクナトン王 E 27112  ホール25; アクナトン王 E 11076  ホール25展示1
 

主に太陽神アトンの崇拝だけが行われるようになった、アメンホテプ4世(アクナトン)の治世中に、一種の一神教が存在したと言われています。しかし、それは真の一神教ではありませんでした。
 

ぶどうを摘む国王の子

Hormin  C 213

                           

ぶどうを摘む国王の子  E 14374  シュリー2階ホール25展示3
 

この彩色した象牙細工品は、エジプトでぶどうが栽培されていたことを確証しています。聖書は王の献酌人についてさえも述べています。(創世記40:9-23)。ぶどう栽培のなりわいは、神が雹の災厄によって「彼らのぶどうの木を殺してゆかれた」ときに大きな痛手を受けました。-詩編78:47
 

セチ1世によって褒美を与えられたホルミン  C 213  シュリーホール27展示2    =>
 

ファラオはハーレムの長に金の首飾りを手渡しています。この場面は、ファラオが「金の首飾りをその(ヨセフの)首に掛けさせた」時にヨセフに与えられた褒美をよく例証しています。-創世記41:42

                           
   

 ►    左手カンパナ・ギャラリーの方へ、。

     
                           

オエノコエ AM 778

シュリーホール 40展示 8

 

十字とそれらの変形は、多くの文化の中で非常に早くから出現しています。

ここでスワスチカ、ひじ型に曲がった支線でなる鉤十字に注目してください。

この象徴の意味は政治的というよりもむしろ宗教的です。

考古学者のチャイルドによると「印章や飾り板によく見られる鉤十字や十字形は、最初期の先史時代のバビロニアやエラムの場合と同様、宗教的もしくは魔術的な象徴である。
 

スワスチカは、当初登る前の太陽の運行を表し、サンスクリットの意味によると「福利をもたらすもの」の象徴の一つでした。

これはまた、ジャイナ教の信奉者にとっては9番目の聖人の象徴でもあります。

                           

鉤十字は、ベツレヘムにあるナチビテのバジリカのモザイク模様の作品に見られます。十字 はバビロンにおいて太陽神の象徴でした。同じ象徴は、周りを囲む輪がなく、直角に交差した長さの等しい4本の支線だけの状態でも存在します。キリスト教以前の時代の宗教的シンボルとしての十字の使用は、恐らくほぼ普遍的と見なされました。ですから古代バビロンの宗教的影響は、政治的力よりもっと多くの力と持続性をもって、数多くの人々や国に広がりました。

                           

犠牲  G 112    シュリー 1er ホール39 展示8
 

このエピドロマスの絵のセラミックのこの皿は、西暦5世紀の初頭のもので、豚の犠牲を表わしています。西暦前167年にシリアの王アンティオコス6世エピファヌは、エルサレムの神殿の大きな祭壇の上に建設された異教の祭壇に、類似した犠牲を捧げました。この神殿をゼウスに捧げました。この冒涜はマカベアの指揮下のユダヤ人たちの大規模な反乱を引き起こしました。3年間の闘争の後、ユダ・マカベアは神殿をYHWHに再奉納し、開会もしくはハノウカの祭りを制定しました。この祝いは福音書の中に言及されており、恐らくイエスはそれに参加されたことに注目できます。「その時、献納の祭り(ヘブライ語。ハノウカ)がエルサレムで催された。それは冬期であり、イエスは神殿でソロモンの柱廊を歩いておられた」。-ヨハネ10:22,23

ユダヤ人の伝承は、「嫌悪すべき者、荒廃をもたらす者」に関連したダニエルの預言(9:27)をアンテオコス6世による神殿の冒とくに適用しています。

     

犠牲    G 112

     


ユ同様の表現が、第一マカベアのアポカリプスの書(1:54人々のための聖書)に見い出されると共に、この出来事に適用されています。

イエスは次の警告を与えられた際、この説明が不正確であることを示されました。

「それゆえ、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、預言者ダニエルを通して語られたとおり、聖なる所に立っているのを見かけるなら(読者は識別力を働かせなさい)そのときユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」。(マタイ24:15、16)「嫌悪すべき者」は、過去の領域のではなく、将来に。

 

 

オソーコン2世の三つ組の神  E 6204  シュリーホール29
 

このペンダントは、今日保存されている金銀細工の珍しい細工品のひとつです。エジプト人は三つ組みの神々を崇拝しました。最も知られているものがここに展示されています。オシリス神に形作られ、オソーコン2世の名前が記された支柱に座っています。神は二人の人物、彼の姉妹であり妻である母神の象徴イシスと、彼らの息子ホルスに挟まれています。エジプトの神々は、バビロンの相続物の跡を明確に呈しています。
 

オシリスとイシスの関係やそれぞれの特徴は、バビロニアのタンムズとイシュタルのそれと驚くほど一致します。「旧約聖書は、三位一体の神については明快には、あるいはやむを得ず暗に示すにせよ、何も語っていない。聖なる筆者の誰かが、神のうちに三位一体が存在するのではなかろうかと考えたことを示す証拠すらない。」三位一体という言葉もこのような組織立てられた教理も、新約聖書の中には出ていないということも注目に値します。この学説は、数世紀にわたって多くの論争を通じ徐々に形作られました。

     

オソーコン2世の三つ組の神

     
     
               

祭司たちと一般信徒の区別は、カルデアの制度の別の痕跡です。オシリスの祭司たちは彼らの頭の剃髪によって見分けられました。そもそもユダヤ人の祭司たちに与えられた「はげに」してはならないという命令はよく理解できます。(レビ記21:5)。ローマ・カトリック教会における剃髪の儀式は1972年に廃止されました。同様の慣行は、仏教にも見られます。大変驚かされるこのような一致は、至る所で明らかです。エジプト学の研究者デスロッシュ・ノーベルクーによれば「疑いなく聖ペテロの後継者たちは、エジプトの古い儀式を借用した。」実際、キリスト教であれ非キリスト教であれ、異なる宗教の特徴の多くは、バビロンの共通した源にそれらの説明を見い出すことができます。

母子崇拝はエジプトで広く普及しました

 


母子崇拝はエジプトで広く普及しました。


天の女王の冠をしたイシスは、しばしば幼子ホルスをひざに抱いた姿で描写されています。

この彫像は、キリスト教の聖母子像を思い出させます。

確かに美術の中で小さなオシリスに授乳しているイシスの像は、聖母マリアと幼子の像に非常によく似ています。

 
                           

分銅の形をしたネックレスのお守りダリウス1世の名において

AF 2913 


シュリー 1er  ホール 29展示 13


 

ダリウス・ヒュスタスピスは、ペルシャ帝国の傑出した支配者の一
人とされています。

彼が西暦前515年に、預言者ハガイとゼカリヤの推進力のもと神殿の再建を完成させるよう、ユダヤ人に許可する政令を公布しました。
(エズラ6:1-4)。

彼はゾロアスター教の主神アフラ・マズダの熱心な崇拝者でした。

この三つ組の神の象徴は、アッシリアの神アシュラにとてもよく似ていました。

 

器の断片  Sb 4110    シュリー 1er  ホール29展示 13
 

エジプトを支配したペルシャのこの王の名前は、ヒエログリフと古代ペルシャ語でここに記されています。彼は間違いなくエステル記がアハシュエロスと呼んでいる王です。(エステル1:1,2)。彼の支配の下、ユダヤ人に対する一つの陰謀が王妃とそのいとこのモルデカイによって覆されました。
 

►クセルクセス1世の食器の断片 Sb548 ホール 14 展示 4(13)

 

タハルカ王  E 25276  

シュリー1erホール29展示10

 

ファラオは、ホルスの前で化身になることを望んで、ひれ伏した状態で表されています。

これは西暦前713年と656年の間のヌビア王朝の最後の「黒人ファラオ」の一人です。エチオピア」の支配者は、一般にイザヤ37:9のティルハカと同一と見なされています。

列王第二19:9もご覧ください。

               
 

クレオパトラ7世  E 27113

  シュリー1erホール30展示8

 

プトレマイオス王朝を統治した最後の一人クレオパトラは、マルクス・アントニウスとの愛ゆえに歴史の中でよく知られています。

この石碑で彼女は、ファラオの衣を身につけ、イシス女神に捧げ物をしている姿で表されています。

西暦前32年、オクタウィアヌスはクレオパトラに宣戦布告しました。しかし「ナイルの愛人たち」は共に戦いに赴きます。

アクティウムの海戦の際、女王はマルクス・アントニウスを逃れさせようと艦隊を撤退しました。

その後まもなくクレオパトラは自害しました。

伝承によれば、彼女はエジプトコブラに自らをかませました。

西暦前30年の彼女の死後、エジプトはローマの属州となり、プトレマイオス王朝は「南の王」の地位を失いました。
-ダニエル11:5-19

 

 

 ►   ホール74まで進んでください。通りながらカンパナ・ギャラリー(ホール39-47)ついで、ホール36,37,38の作品に注目してください。 七暖炉の間(74)の中にあるJ.F.de.Troyの4つの大きな絵画は、エステルの生涯の出来事を表現しています。

                           
 
                           

王座に座るキュベレ  CA 1797   Sully 1er salle 36展示18(5)
 

小アジアのフリギアで生まれた女神ラテン名キュレベは、ギリシャ人にレアという名で知られています。タイタン(巨人)クロノスの妻で、神々の偉大な母としてローマで崇敬されました。彼女はたいてい両側にライオンが付き添った王座に座しています。その崇拝は、コリュバスと呼ばれる去勢された祭司たちによって執り行われました。A・ヒスロプは、一般的に崇拝されているこの母神崇拝の起源は、バビロンにさかのぼると述べています。母の日は「古代ギリシャで行なわれた母親崇拝に由来します。キュベレをたたえる儀式を伴うその崇拝は、小アジアの至る所で3月15日に見られ」ました。

 

エフェソスのアルテミス

   

シベル

       
               

エフェソスのアルテミス   CA 1202  Sully 1er salle 37展示1(3)
 

女神の身体はぴったりとしたチュニックで覆われており、多産の象徴である何列もの乳房もしくは牛の睾丸で飾られました。高いカラトスがかぶせらています。「エフェソス人の偉大なるアルテミス」(使徒19:28)と他の諸国民の主だった女神たちとの緊密な関係が明らかになっています。
 

アルテミスはフリギアのキュベレのほか、アジア諸国の他の女神像(カバドキアのマ、フェニキアのアスタルテ、シリアのアタルガティスやミリタ)と非常によく似たところがあり、これらはみな1つの根源的な宗教概念の変形にすぎないように思われます。神々の母のすべての属性とバベルの塔と呼ばれる王冠をかぶって表わされています。
 

西暦431年に、エフェソスで行なわれた第三回公会議は、マリアをギリシャ語で「神を生んだ者」を意味する「テオトコス」と宣しました。教会がこの称号を用いたことが、マリアの教理の発展に決定的な影響を与えました。聖母被昇天の祝日の行列は、キュレベやアルテミスをたたえる行列が原型になっています。

                           
 

 ►   ホール33に向かって、右へ曲がってください。

       
                           

骸骨のゴブレット  Bj 1923-24   シュリー1erホール33展示4(8)
 

考古学者たちは、ヴェスヴィオス火山の斜面のボスコレアーレの荒廃した邸宅の1つから100を超える銀製品を発見しました。紀元79年の火山の噴火を逃れたこの至宝は、レリーフの上部に神話や花のぼかしが装飾された食器が含まれていました。

骸骨のゴブレット

       

これらのゴブレットには前例のない技法と、豪華さが不気味な側面と組み合わされた驚くべき柔軟性が見られ、この一連の作品は、アウグストゥスの時代の非常に優れたローマの文化を物語っています。彫りつけられている銘は、考案者たちや有名なギリシャの哲学者たちを示しており、それらは骸骨の外観で表されています。短い格言は、人生を謳歌するよう呼びかけています。その一つは「生きている間は楽しみなさい。明日何があるか分からない。」と述べています。
 

生き方もしくは信仰とも言うべき、このエピクロス派の観念が相いれられなかったことは、使徒パウロによってなされた引用を思い起こさせます。「もし死者がよみがえらされないのであれば、『ただ食べたり飲んだりしよう。明日は死ぬのだから。』ということになります。」-コリント第一15:32

                           
 

アウグスツスのカメオ Bj 1839   

 シュリー1erホール33 展示9
 

ローマの最初の皇帝で、本当の名前はカイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィウスといい、聖書の中で名前が言及されている3人のカエサルのうちの1人です。西暦前2年に「人の住む全地に登録を命ずる布告がカエサル・アウグスツスから出た。もとよりヨセフも(…)ガリラヤからユダヤに入り,ベツレヘムと呼ばれるダビデの都市に上った。

(…)マリアと共に登録をするためであった」。(ルカ2:1-5)このようにして、イエスは聖書の預言の成就としてベツレヘムで生まれました。

(ダニエル11:20、ミカ5:2)多くの人は、イエスが12月25日に生まれたと考えています。

しかし、ローマ皇帝が、すでに自分に反抗する傾向のある人々に,登録のため冬のさなかにそのような旅行をするよう求めたとは考えられません。イエスは秋の初めごろにお生まれになったようです。

1年のうちの1つの月(8月)は、アウグスツスの名から付けられました。

 

 

枝付きの手持ちランプ  Br 3185, Br 3137 

 シュリーホール33中央の展示1

 

渦巻状のランプ  Br 3115   壁の展示1


 

パレスチナのランプは、2つ以下の突き穴のある小さな容器でした。

それらは高く掲げなければ、十分な光を供給できませんでした。

おそらくそのためイエスは「あなた方は世の光です。

...人はともしびをともすと、それを量りかごの下ではなく、燭台の上に据え、それは家の中にいるすべての人の上に輝くのです。

」と言われました。-マタイ5:14,15

枝付きの手持ちランプ

                           
 

 ►   ホール32で、異なる幾つかの聖句の意味を明らかにする、通称青銅製品、鏡、アクセサリー、甲冑にご注目ください。

 
                           
                           

八角形の中央の展示のアクセサリー類 金の飾りまたはアクセサリー ペテロ第一3:3,4
 

かぶと Br 1119、胸当て Br 1136-37 、ベルト Br4757 剣 Br1472 展示M4。

エフェソス6章にある、クリスチャンの武具の比喩的な各部分を例証しています。 
 

  Br 1685、Br 4473  展示M10 

                           
         

 

 

ギリシャの木製の鏡 

Br 4323

展示P3

 

磨かれた金属製の古代の鏡は、表面が反射せず、現在の鏡に比べ質も良くありませんでした。

鏡に映る姿は、どうしても不完全でぼやけていました。
 

日常生活の道具に係わるこの古代社会の知識は、使徒パウロの述べた「現在わたしたちは金属の鏡でぼんやりした輪郭を見ていますが」という言葉を理解する助けになります。
(コリント第一13:12)
 

弟子ヤコブは読者に「鏡で自分の生まれつきの顔を見る人のような、聞くだけの者」とならないよう励ました際に、聖書を鏡になぞらえました。
-ヤコブ1:22-25 

                           
 

ジャニフォームの頭 

Br 551   シュリー1階ホール32  展示 E1



 

冠をしたこの頭部は、恐らく木の槍の柄と思われます。

ローマの最も古い神々の一人ヤニスは2つの対照的な顔、一つは前をもう一つは後ろの方を見た状態で表されています。

 

西暦前46年、ユリウス・カエサルは一月一日を元日と定めました。

ローマ人はこの日を門や入り口や物事の始めをつかさどる神ヤニスをたたえる日としました。

一月(January)は、この神の名にちなんで付けられました。

西暦487年には、キリスト教会が一月一日を聖化しました。

           

 

以下もご覧下さい。
 

アフロディテ パンテオン BR 4425   展示M8

ローマ時代のこのアフロディテ(アシュタルテ)は普遍の三つ組みの神の一人として表わされています。豊饒の角と富の舵をもち、ミネルバのかぶと、キュベレーとイシスの紋章の形をしたギザギザのある冠をかぶっています。
 

アドニス-タンムズ  Br 410、Br 411  示C4(1,3)
 

パン  Br 4292  展示C2  

ヴィーナス   Br 4430 頭を取り囲んでいる星々にご注目ください。

                           
                           
 

 

ホール32を出てRez.de.chaussée まで階段を降りて、次の古代ローマの部門へ進んでください。左のホール17、通称カリアティッド(Caryatides)へ入ってください。

 

 
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           
                           

 


Carte エジプト-1古代ギリシャ - ホール17