ルーヴル美術館と聖書  - 古代オリエント

 

 >   この部門は、西暦前7000年にさかのぼる古代近東文明の作品を展示しています。それらはメソポタミヤ、イラン、そして東の国々-地中海からインドに広がる広大な領土に受け継がれました。

 
 

「れんがが石の代わりとなり、瀝青がモルタルの代わりとなった。」(創世記11:4)。 瀝青という語が聖書中に最初に出てくるのは、”川の間の国”メソポタミヤ、シナルの平原でのバベルの塔(375*)の建設に関する文脈の中です。
 

「そして、彼の王国の始まりはバベルであった」 (創世記10:10) 。 これはバビロンと王国という言葉に関する聖書の最初の言及です。モーセは「バベル」を語源動詞バーラル「混乱させる、混同する」と関連づけて、この語が「混乱」という意味であることを示しています。 その都市の住民たちはバブ「門」とイル「神」の複合語で「神の門」であると主張しました。これら二つの語義は、バビロンの宗教と結びついていました。最も古い参考文献は、バビロンは西暦紀元前2500年頃のシュメールのアルカイック王朝時代にまでさかのぼると言及しており、古代アッカドのバーバーと呼ばれた場所の地方総督が、自身をマルドゥクの神殿の建設者として記述しています。

                           
 

「ニムロデは地上で最初に力のある者となった」。

(創世記10:8,9)この短いニムロデに関する文章は、神の至上権に対して反逆して神に「敵対する力ある狩人」(9節)となったゆえに非常に興味深い。

ある人々はバビロンの主神マルドゥクはニムロデの化身ではないかと考えています。

見事なそして呪われた都市バビロンはたくさんの遺跡の一つにすぎません。それで後代の文明が享受する遺産を忘れることは容易でしょう。
 

<=  バベルの塔   RF 2427

 

しかしながら過去の人々に関して、習わしや儀式・伝統の中、並びに神々との関係の中のいたるところに一致が見られることを表わしています。これらすべての民は、一つの共通の源で宗教的概念をくみ取ることができました。数多くの文化や宗教の現象は、古代オリエントやいくつかの宗教の中で完成した原型を築きながら生まれました。キリスト教は、他のすべての宗教以上にメソポタミアのこの魅力的な伝統に根付いています。ベアトリス アンドレ・ナルビーニ.「教会はカルデアに始まった。」カーディナル J.H ニューマン

                           

魂の不滅性の基礎となる信条、太陽崇拝もしくは母神崇拝、三位一体の神の概念、創造に関するもしくは邪悪な人々を滅ぼした洪水に関するこれら世界中の神話には共通の特徴となるものがあります。バビロンから人々が各文化のグループごとに、もともとの遺産を変形し、もしくは美化しながら散らばったという聖書の説明にその理由を見いだせます。
 

チューム (瀝青)  AO 19812 
シェリューホール  1b     =>

 
                           

「さて、地は一つの言語、一式の言葉のままであった。」(創世記11:1). 楔もしくは釘の形をして文字を構成している表記法を「楔形文字」と言います。聖書はノアの洪水以前の文字の存在を示しておらず、元の言語の混乱後、さまざまな体系の文字が現れています。いわゆる「民族一覧表」(創世記10章)には、ノアの子らの子孫の名が列挙され、「各々その国語にしたがい」(創世記10:5)分類されています。

                           
 

人間の発明とはほど遠く、人間の言語の混乱の際、神がまったく新しい言語を作り出され、単に文法や語根だけでなく思考表現の型を人々の脳裏に導入されたことが明らかです。

言語研究家たちは聖書の記述を確証しています。

書き記された言語に関する最初期の記録は、せいぜい5000年しかさかのぼれません。そして歴史書はシュメールで始まっています。 

古代言語がどこから散らばっているかに関して、ヘンリー・ローリンソン卿は「言語のたどった道の交差点だけを頼りに調べるとしても、われわれはやはり、種々の語系分散の中心としてシナルの平野に焦点を定めることになる」と指摘しています。
(創世記11:2)

                           
                           

現存する最も古い聖書の写本よりも、時にはさらに古い石や粘土板に刻まれた文書が存在します。しかし、聖書は深遠で力強い音信を示しているゆえに卓越しています。ヘブライ語聖書が書き記されていた一千年間における驚くべき安定性ゆえに、聖書のヘブライ語が、バベル以前の時代の「一つの言語」に相当すると思われます。現存する最も古い聖書の写本よりも時にはさらに古い石や粘土板、プリズム(角柱)や円筒に刻まれた文書が確かに存在します。しかし、聖書は深遠で「力強い」音信を述べているゆえに卓越しています。(ヘブライ4:12)少なくとも注意深く、先入観なく読むに値する書物です。

                           

王兼祭司の円筒公印  AO 6620ホール   1a 展示 2(8)
 

ここに描かれているひげを蓄え、長いスカートをはき、稲穂を捧げている人物は、慣例的に一人の王兼祭司と見なされています。都市の中の特別な地位に任命され、典礼や軍の職務を統合し、ウルクの町の守護神イナンナを祭る儀式を主宰していました。聖書中で祭司という語が最初に言及されているのは、サレムの王メルキゼデクに関してです。(創世記14:18)彼は、神によって王と祭司の二つの務めを果たすことが承認された、たった一人の人間の指導者です。モーセは後に、聖職者と政治家の分離の原則を制定しており、王は祭司の務めを果たす権限はありませんでした(歴代第二26:16-18)。

                           
                           

使徒パウロは、詩編110:4の預言的な言葉を「イエス、メルキゼデクのさまにしたがい永久に大祭司となられる方」に適用しています。(ヘブライ6:20,5:10) 。この「平和の王」はキリストを示す代表的な表現です。-ヘブライ7:1-3 啓示の書の幻は、誰が至高の、また天のこの偉大な祭司「王なる祭司」(ペテロ第一2:9)の奉仕の恩恵を受けるか、また誰がその王国で王または祭司の資格で加わるのか示しています。(啓示20:6) 王国は聖書の主要なテーマであり、すべてのクリスチャンの祈りの目的です。-マタイ6:9

                           

ドゥドゥの奉納の浅浮き彫り、ニンジルスの祭司

AO 2354   リシェリューホール1a
 

このプレートの物語風のモチーフは重なり合って構成され、それだけでも宇宙と人間の場所の象徴的な構造化を連想させます。宇宙の創造に明確に係わるシュメール神話は全く存在しません。7枚一組の粘土板の創造の叙事詩、エヌマ・エリシュの中で、勝利者マルドゥクは一つの激しい戦闘の後、優位に立ちます。彼は、ティアマート、プリモーディアルの海の女神の身体を切り裂きます。

彼はその半分で天を、もう半分で地を造りました。それから「神々が一つの世界に住んで、自らの心を楽しませるように」と人類を創造しました。バビロンの詩、アトラ・ハシスによると、人類は神に仕えるために創造されました。

 
 

人間の創造はこのように、必要性の過程で行われたのであり、聖書中の記述の場合のような無償性や、愛の過程ではありません。「エジプト人の死」の著書の中では、人間はラーの涙で造られました。神統記では、宇宙の起源に関する想像上の、残忍なギリシャ観念を説明しています。

「聖書の記述とは異なり、バビロンの宇宙進化論はすべてが変形だ。物事の起源については全く触れられていない。この起源はいつも何かに変化されることに始まっている。」J.ボテロ。バビロンの詩は神話的で多神教である。創世記は最も高尚な一神教である。本文は人間に創造者を崇拝するよう促している。これらすべての伝説は、多神教や神々の間の激しい主導権争いといった、共通の特徴によって特色づけられており、創世記の記述に固有なヘブライの一神教とは明らかな対象を成しています。実際、バビロンの物語の基のコンセプトと、シンプルながら驚くほど首尾一貫した創世記の文書の間には、そのような基本的な相違があります。

エアンナトゥム王の戦勝碑

通称「禿げ鷹の碑」と呼ばれ、西暦前2450年頃にラガシュのこの王により、ウンマの都市に対する勝利を記念して建てられたこの碑は、現在知られている最古の史料編さん記録の一つです。それは私たちに、シュメール人が考察した、国家と神々との彼らの関係のあり方について教えてくれています。本文と絵が、二面に展開されています。「神話の面」には、一人の人物(並外れた身長、長いひげ、神の象徴からニンギルスを表しているように思われる)が、大きな網の中に捕らえられた敵軍を打ちのめしている様子が描かれています。

 
  エアンナトゥム王の戦勝碑   AO 50


リシェリューホール 1 
 
 

「歴史の面」の上部の記録は、兵士たちの軍団がウンマの兵士たちを踏みにじる様子を描かれています。「歴史の面」には、王とその一軍の頭髪が、戦いのために乱れて描かれています。この様子は聖書の中で、裁き人バラクにより描写されています。「戦いのために髪を垂らした」 (裁き人5:2) 。網はしばしば、捕虜として連れて行くために取り囲む、もしくは誰かをわなにかける一つの手段を表現するために用いられます。神について言えば、詩編作者はこう述べています。「あなたはわたしたちを狩猟の網の中に引き入れ(た)」。(詩編66:11)ヨブはこう述べています。「神が、わたしを惑わし、その狩猟の網でわたしを取り囲まれたことを」。 (ヨブ19:6)。この比喩的な用法は他にも、ミカ(7:12)やエレミヤ(哀歌1:13)に見られます。カルデア人が民を征服する手段は、引き網に例えられました。(ハバクク1:6,15-17)ホセアにより、イスラエルにもたらされた神の裁きは、このように述べています。

 

「エフライム(北の王国)は心を持たない単純なはとのようになる。

彼らがどちらに行こうとも、わたしは彼らの上にわたしの網を広げる」 (ホセア7:11,12) 。

エゼキエル(12:13)によって、不忠実な王ゼデキヤに対してこのような隠喩が繰り返されました。「そしてわたしは必ず彼の上にわたしの網を広げるであろう。彼は必ずわたしの狩猟の網に捕らえられる。

わたしは彼をバビロンへ、カルデア人の地へ連れて行く。彼はそこで死ぬであろう」。

 
                           

エビブ  AO 17557  リシェリューホール1 b

 

マリの彫刻のこの傑作は、都市の豊かさを証しています。

財務官は毛束のスカートを身に付けています。半透明のアラバスタ製の彫刻に仕上げられ、上半身の変化に大いに繊細さを与えています。目は貝殻とラピス・ラズリがはめ込まれています。

考古学者たちは、ライオン神殿(その地域の神ダガンの神殿、聖書中のダゴンと同一と見なされている)やイシュタルやシャマシュに奉献された聖域など、残る6つの神殿の跡を発見しました。

マリにおいて宗教は生活の中心でした。

神々に仕えることは人の務めとされ、その結果重要な事柄に関しては、決定を下す前に神々に意志を伺うことが行なわれました。




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Что общего между Мардохеем (Эсфирь 8:15) Иисусом (Иоанна 19:5) и Лидией (Деяние 16:14)? Ответ: один цвет - пурпур. Раковина этого моллюска Мурекс представлена в витрине. Чтобы получить 1 грамм пурпурного красителя, нужно  добыть не менее 8 тысяч моллюсков. По сути, пурпурная краска была самой дорогой в античности. Вот почему пурпурные ткани всегда оставались предметами роскоши. Поэтому пурпур всегда являлся символом царское власти, достоинства и богатства.

                           
                           

アッカドの王の勝利の石碑の断片  Sb 3  リシェリューホール2
 

アッカドは古代都市アガデと同一と見なされていますが、正確な場所は分かっていません。アッカドはニムロデによって建設され、「彼の王国の始まり」となった4つの都市の1つです  (創世記10:10) 。裸の捕虜たちは、イザヤ20:1-4をよく描写しています。

                           

アッカドの王ナラム・シンの勝利の石碑   Sb 4リューホール2
 

この特別な作品は、一風変わった状況でルーヴルにもたらされました。エラム人の王が戦利品として持ってきたのです。フランス人考古学者たちは、その石碑を西暦1900年より少し前にイランのスースで発見しました。
 

サルゴン大王の孫であるナラムーシンは「アッカドの神、4つの地域の王」という称号で表されています。碑文は、宇宙を支配するという彼の野望を記しています。 王が立った状態でいるのは、彼を選び、戦勝を支援した太陽神シャマに対する信仰心の表れです。ここで神は、放射状の円盤によって暗示されています。このマリの征服者は、その存命中に神格化され、このことはかぶとの角で表されています。

アッカドの王ナラム・シンの勝利の石碑
 

       
     

この象徴表現は、メソポタミヤ・イコグラフィーによく見られます。聖書中でも、角は力や権力の象徴のひとつです。(申命記33:17)詩編75編は、高慢さに対する警告をこう与えています。「あなた方の角を高く上げるな。尊大な首で話すな」(5節)。

 

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アッカドの時代の彫刻技法  リシェリューホール2展示1   西暦前2350-2200年頃
 

深い淵の淡水の神エンキ/エア。波の神の絵もそれぞれの都市の神々の長、神の父にふさわしい。「シナルの地」は、しばしば2つの地域に分けられました。北アッカドと南アッカド、シュメールまたはカルデアです。(創世記10:10;11:2)アッカド人は印章彫刻の分野でシュメール人をしのいでいたようです。石に印刻されたこれら小さな円筒は、所有権、信ぴょう性、もしくは合意を標示する印影を粘土もしくはろうの上に付けるために用いられました。印章の実際の使用法は、聖書に出てくる「証印を押した」という比喩的な表現の根拠となっています。たとえばダニエルは、メシアが『幻と預言者とに証印を押す』と予言し、預言の成就によってメシアがそれらに「証印を押し」ました。(ダニエル9:24)

帰属の印もあります。アブラハムは「しるし、すなわち割礼を、信仰による義の証印として受け」ました。(ローマ4:11) また1世紀のクリスチャンは「聖霊をもって証印を押され、それはわたしたちの相続財産に関する事前の印で(した)。」-エフェソス1:13,14。預言的なメッセージは、彼らが理解することができなかった時の間、封印しておかれました。(ダニエル12:4,9)

アッカドの時代の彫刻技法
 

           
           

ナガルの勝利   MNB 1905  (3, 11)
 

ナガルは半人半雄牛を滅ぼす、山によって象徴されている冥界を支配しています。バビロンの地域内で、ナガルは冥界の神、もしくは地下の世界「返らぬ人の地」の神です。彼の妻エレシュキガルはこの地下の世界を支配していました。エジプト人も地獄を信じていました。西暦前1375年にさかのぼるアムドゥアトの書は「あなたは墓穴に落ちた…あなたはそこから免れることも逃れることもできない。火はあなたのそばにある」と述べています。この概念はギリシャの哲学プルタークにも見られます。

「彼らは不名誉な罰と苦しみを被り、泣きじゃくりながら哀れみを…懇願する」。魂の不滅のこの教理は、ユダヤ教の宗派にも悪影響を与えました。歴史家ヨセフスが伝えるところによるとエッセニア人は「ギリシャ人との合意により、罪のある魂を闇と冷たさの支配する深みに追いやり、永遠の責め苦で満たし」ました。2世紀の聖書外典であるペテロの黙示録は、悪人に関して「彼らを懲らしめる燃える火があった…他の男女は体の半分を焼かれ、暗い場所に捨てられ、悪い霊にむちで打たれた」と述べています。
 

夏の太陽の神、強烈で猛烈、「焦がす人」と呼ばれ、特にKoutha で崇拝されました。ユダヤ人の流刑後、アッシリアの王が移住させたこの都市の住民たちは、この神を崇拝し続けました。(列王第二17:29,30)ヨセフスによると、彼らの子孫は「サマリア人」と呼ばれました。死後に邪悪な者たちが罰せられる地獄の火の教理の起源は、キリスト教の誕生より幾世紀もさかのぼることになります。この概念は、聖書中に見い出せません。それはクリスチャンの教えにふん装された異教の教えです。
 

魂の不滅とそれらの変形もまた、数千年の時を経て後代に伝えられました。アッシロ・バビロニア文化の人々は、死後の命を信じました。地下のアープスーの(地を取り巻いている、真水に満ちた)深淵のかなたに、死後の人間が下って行く地獄のような住みかがあり、それは『帰らぬ人の地』で、その永遠の闇の地方で、鳥のように羽の衣を着たエディンム(死者の魂という名を有する)が皆、ごちゃ混ぜにされていると信じられていました。身体の死に続いて人間の一部が非物質的、もしくは霊的な部分になるというこの偏在の信条は、聖書的ではありません。不滅の魂の神話は、神父によってキリスト教哲学に組み込まれる以前に、エジプト人やギリシャ人達にも深い影響を与えています。

         
 

通称「設計図を持った建築家」の像  AO 2 

リシェリューホール2  西暦前2120年頃

 

ラギシュの王子グデアは座し、祈りのために両手を結び合わせ、ひざの上に彼の神ニンギルスの古代神殿の刻まれた設計図を乗せた状態で表されています。遠方の国々からの数々の資材の輸入が求められた、この考案者とサマリアの王子による敬虔な再建設の野心的なプログラムは、ソロモン王によるエルサレムの神殿の建設と比較されます。
 

神殿建造のモデルは、シロ・メソポタミヤンの世界の数々の聖地の中によく見られる3要素が見られるという理由から、フェニキアの建築家により提案されたとされています。「ダビデは建築計画をソロモンに授け(...)霊感によって(霊によって)彼のうちにあったすべてのものの建築計画であった。わたしの上にあるそのYHWHのみ手から書き物の中のすべての事柄、すなわち建設計画のすべての仕事のためである。」-歴代第一28:11,12,19  それで、神が真の建築家であり、神殿の建設はその方の明確な意図によります。

                           

キリストを考慮した弁論の中で、使徒パウロはこの神殿は「予型、また天的な事柄の影」(ヘブライ8:1;10:1)であり、キリストの犠牲により、天の神殿に入ることが可能になったと説明しています。「キリストは実体の写しであり、手で造った聖なる場所にではなく、天そのものに入られたからであり、今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです。」-ヘブライ9:24

                           
 

ニンギシュジダ神の献酒のための器   AO 190 

リシェリューホール2
 

新シュメール時代 西暦前2120年頃   テロ、古代ギルシュ

この壺文化の作品のアンサンブルはこの神が媒介者であるゆえに、自然の再生の力を思い起こさせます。二匹の翼のある昆虫の前、角冠をした妖精、どくろを巻いた二匹の蛇。

生命力のイメージはギリシャのカドゥセ(薬局のシンボルで、一匹の蛇が巻き付いた杖)をも思い起こさせる。最初の献酒の実例は、族長ヤコブに関するもので、神がべテルにおいてヤコブの名前をイスラエルに変えたときです。この場所を捧げるため「ヤコブは石の柱を据え、その上に飲み物の捧げ物を注ぎ、また酒をその上に注いだ。」 -創世記35:9-15;28:18
 

ユダヤでは、献酒は大多数の場合犠牲を伴います。例えば、無酵母パンの祭りの際、ぶどう酒の捧げ物は収穫の初穂の束の奉納に続きます。(レビ23:15)イザヤ57章6節では、預言者が、性の象徴であり崇拝のために建てられた石に対してなされた飲み物の捧げ物を激しく非難しています。

                           

誰かの健康を願って乾杯することは、今日では宗教的行為として見なされることは全くありません。しかしこの習慣は、恐らく神々や死者に敬意を表して飲むという、古代の宗教儀式に由来します。食事の際、ギリシャ人やローマ人は飲み物の捧げ物をし、彼らの神々の健康を願って飲みました。これらの世俗の習慣は、(神への)請願をかなえてもらう引き換えとして、血またはぶどう酒の聖なる液体を神々に捧げる過程の、古代の飲み物の捧げ物の名残である。

大洪水

                           

ギルガメシュの母ニンサン女神に捧げられた浅浮き彫り AO 2761   ホール 2展示4
 

アヌ、エンリとエンキは、シュメールのパンテオンの最も高められた宇宙の三つ組の神を構成しています。エンキ(アッカド語でエア)は水をつかさどる神です。はるか昔、「神々がシュルパクに住んでいた頃」また神々が人類を絶滅させることを決めたとき、エンキは人類のためにとりなしをし、大洪水書字板、シュメールの神話に沿って彼の友人で賢人ジーウースードラに予告します。ギルガメシュの叙事詩は、12の粘土板の長い叙事詩です。このウルクの王(創世記10:10ではエレク)は、死への恐れと不滅性を得るための彼の努力を記しており、11番目の粘土板の物語は、大洪水の記述と関連しています。ギルガメシュは彼の友人エンキドゥの死を知ります。彼は死の川を渡り、人間でただ一人不滅の命を持つウトナピシュティムに会います。ウトナピシュティムは、大洪水の前にエンキ/エアから受け取った指示を細かに説明します。「家を壊して、船を造れ。所有物を手離し、命を求めよ。すべて生けるものの種を取って船に乗せよ。」

聖書の物語はしばしば、メソポタミヤ人の伝承に由来する、文学的な反復のように見なされ、実際の大災害の記述とは見なされません。地球的な規模の洪水は、もっともらしい仮説にとどまっています。想像上の産物は、たいていの場合ただ一つで、世界的ではありません。ところが、大洪水に関して50ほどの伝説が存在します。そして、それぞれの伝説に共通の類似を見いだせます。:道徳秩序のための世界的な滅び、箱船または舟での一家族の救出です。世界のあちらこちらに見られるこれらの物語は、実際に起きた一つの出来事の確証と見なせます。人類はただ一つの地域、ただ一つの家族から全地に広がったのです。

                           
L'Hiver ou le Déluge inv 7306 Nicolas Poussin Le Déluge inv 699 Alessandro Turchi
                           

ノアの「航海日誌」は、本物の歴史的文書記録のすべての特徴を示しています。(雨が降り始めた年月日に関して)明確な時の情報を見いだせます。それら年代学の基準点のおかげで、聖書は大洪水の始まりを西暦前2370年と位置づける体系的な計算を可能にしました。創世記の執筆者であるモーセは、それらの情報を直接的な啓示、口頭伝承、あるいは文書記録のおかげで得ることができました。箱船の規模は水に浮かんだコンテナのようで、数十年の建設期間を要したのは当然だと言えます。これらの詳細は、60メートル容積の船をたったの7日間で建て終えたとする叙事詩と際立った対照をなしています。
 

創世記の記述の他に、聖書はノアと大洪水について10回言及しています。研究者エズラは、イスラエル国民の系図にノアと彼の息子たちを含めています。(歴代第一1:14-17)大預言者イザヤとエゼキエルは、ノアの名を引き合いに出しています。(イザヤ54:9、エゼキエル14:14)福音宣明者ルカは、彼のことをイエスの先祖の一人として挙げています。(ルカ3:36)使徒ペテロとパウロはこの救出の記述を参照し、神への敬虔な恐れと「義の伝道者」ノアの偉大な信仰の例としています。(ペテロ第二2:5;3:5、6;ヘブライ11:7)。
 

「ノアの日に起きたとおり、人の子の日にもまたそうなるでしょう 」(ルカ17:26) 。天の目撃証人であるキリストの言葉は、ノアの時代の洪水が実際の出来事であって神話ではないという、クリスチャンのための最高の論拠です。

                           

グデアの円柱  MNB 1511  リシェリューホール2  展示 5
 

これら二つの粘土の円柱は、ニンギルスの神殿の建設の歴史を保存しています。円柱Bは、毎年新年の神聖な結婚の祝いの間、ニンギルスが妻と共に神殿に住むことを伝えています。彼は世の誕生を繰り返し、新しい年の流れのために太陽を再び送ります。新年の日付けは神殿で変わり、国々へと続きます。緊密なそして意外な類似が、この祝いに関連した習慣に常に見られます。

                           
       
                           

バビロンにおける新年の祝いの儀式  MNB 1848 (17)   リシェリューホール6
 

この粘土板は、毎年その初めに行なわれていた、祝祭の最も重要な部分について述べています。バビロンでは、一年は3月の春分の頃に始まりました。バビロンの暦で最も重要で壮麗な新年の祝いアキトゥーは、2つの一般的な宗教概念から生じています。:「神聖な結婚」の儀式に結びついた豊穣の崇拝と、一年に一度の世の秩序に係わる再生を前提とした宇宙進化論的なコンセプトです。11日間に及ぶ祭りは、マルドゥクの崇拝を中心に行なわれていました。
 

国々の重要な神々の偶像が誉れをもたらすために運び込まれました。その祝いは占いと、「カオスの悪霊たち」を追い払うための儀式を特徴としていました。祭りの多くの時間は、天地創造の詩の朗誦とドラマで占められました。8日目が元日とされました。王たちはマルドゥクの金の像の手を取って、即位させられました。

                           

ハピ   E 4874,  ホール3 展示4 
  

豊かな胸と膨らんだ腹部で表されたこのナイルの氾濫の神は、水面に現れる3本のパピルスで髪を結っています。一年のうちで、神殿の人々も農村の人々もすべてのエジプト人が尊んだのは、ハピ、川の氾濫が土地に広がり始めるころでした。それは一年で最も暑い時期と一致しました。
君主や祭司たちは、年のサイクルの再生を祝って像を神殿のテラスに移動させました。親や友人たちは贈り物、とりわけ聖なるナイルの水を入れた小さな壺を交換しました。新年の日付けは神殿で変わり、国々へと続きます。緊密なそして意外な類似が、この祝いに関連した習慣に常

   

ジャニフォームの頭  Br 551
シュリー1階ホール32  展示 E1
 

冠をしたこの頭部は、恐らく木の槍の柄と思われます。ローマの最も古い神々の一人ヤニスは2つの対照的な顔、一つは前をもう一つは後ろの方を見た状態で表されています。西暦前46年、ユリウス・カエサルは一月一日を元日と定めました。

ローマ人はこの日を門や入り口や物事の始めをつかさどる神ヤニスをたたえる日としました。一月(January)は、この神の名にちなんで付けられました。西暦487年には、キリスト教会が一月一日を聖化しました。

                           
       
ハピ  E4874 ジャニフォームの頭  Br 551   
 

板の小像  AO  16716  リシェリューホール 2    展示  4(10-14)
 

これら板の小像は、神々もしくは家の偶像を表しています。大きさは大変様々で、等身大で人の形をしていたり(サムエル第一19:13)はるかに小さかったりします。ですから、らくだの鞍の「かご」に入れることができました。ラケルの行動が物語っているように、テラフィムを所有していることは家徳相続の権利に影響がありました。44-創世記31:29-34、脚注

                           
  Figurines-plaquettes ou Teraphim,   dieux domestiques Louvre   Figurines-plaquettes ou Teraphim,   dieux domestiques Louvre
                AO 16716   AO 15119

ヌジでなされた考古学上の発見は、家族の神を所有している息子に、死亡したしゅうとの財産の所有権を与えるという族長の法の存在を明らかにしています。ヌジの発掘によって確証された聖書記述の例は、聖書補足辞典(6巻、663-672欄)が小さな文字で8欄以上も割くほど非常にたくさんあります。人々はしばしばテラフィムに兆しの伺いを立てました。(エゼキエル21:21)イスラエルでは、テラフィムの偶像崇拝的な使用が広まりました。預言者サムエルは「厚かましく出しゃばることは怪異な力やテラフィムを用いることと同じだからである。」と述べています。-サムエル第一15:23

 

通称「噴出する壺」の彫像(彫像N AO 22126
 

この彫像は西暦前2120年頃、南メソポタミヤを治めていたグデアを表しています。彼は房べりの付いた長い亜麻の衣を身にまとい、王国の権威を示す、私たちの時代で言うところの冠のような大きな縁の帽子をかぶっています。君主は立った状態で、魚の多い波のうねりが沸き起こっている壺を両手に持っています。水の豊かさの象徴、これはエンキ神の恒例の特性です。メソポタミヤでたびたび見られる、生気を与える水が生じる壺のこのテーマは、恐らく創世記2章10節の記述を反映しています

 

ウル・ニンギルスの彫像  AO 9504
 

ラガシュの王子のこの像の台座には、ひざまずいた年貢を納める者達が刻まれています。それは使徒パウロがイエス・キリストに適用した詩編作者の言葉を例証しています。「わたしの主に対するYHWHのお告げはこうです。『わたしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは、わたしの右に座していよ。』」-詩編110:1;ヘブライ10:12-13
 

1924年、ルーヴル美術館はテロの秘密の発掘現場から来たこの像の胴体を購入しました。アメリカ人の収集家のもとにあった頭部は、1947年にニューヨークのメトロポリタン美術館によって買い取られました。1974年には、2つの美術館の合意の下、この彫像がパリ次いでニューヨークで5年間展示されました。
 

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敗北者を踏みつけて立ったマニシュトゥスゥの像  Sb 48 ホール8  13
 

石灰岩のこの彫刻像の台座は、敗北した敵の横たわった身体を踏む王が表現されています。彼らの都市の名は台座に刻まれています。

                           

ウルの荒廃に対する哀歌  AO 6446  リシェリュー ホール 2 展示6(1)
 

この文書は「荒廃した都市への哀歌」と呼ばれるメソポタミヤ文学のよく確立した表現形式に属します。著者はウルの崩壊を神の計画の中に刻み込もうと試みています。聖書の中には、このような神学上の観点は見出せません。このシュメール文書と、エルサレムの崩壊の少し後に書かれた哀歌を比較することができます。哀歌の5つの叙情詩は、攻囲戦によってもたらされた大きな苦痛、滅びの原因、再建の希望をつづっています。
 

戦略上の陣地の拠点であり、繁栄したシュメールの都市国家ウルは、豊かに発展します。再建後かなり経っても、過去の栄光と西暦前2000年頃の第三王朝の没落を悲嘆しています。聖書ではカルデアという名で出てきます。(「カルデアのウル」、創世記11:28脚注)それはアブラハムとその家族が「神が示す国」へ移動する前のことです。- 創世記11:31;12:1

                           
 
                           

ウルにおける発掘調査は、権力の絶頂にあったこの都市を離れる際、アブラハムが物質面で大きな犠牲を払ったことを明らかにしています。しかしこの族長は、「真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。その都市の建設者または造り主は神です。」(ヘブライ11:8-10)聖書は彼を「信仰を持つ人すべての父」(ローマ4:11)と呼んでおり、「彼の胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と述べています。-創世記22:18 ウルはシュメールのナンナ神と、バビロニアのそれに相当するシンの崇拝の主要な中心地でした。太陽の父と見なされたシャマシュは、アッシロ・バビロニアの神々の最も重要な神のひとりです。この神のために建てられたジッグラトは、イラクで最も保存状態の良いものです。アブラハムが、そして後にイスラエル人が滞在したエジプトでは、しばしばトキの頭で表されるトト神に敬意を表して月崇拝が行なわれました。

月はしばしばアシュトレテ女神の象徴の形で崇拝され、バアル神の伴侶として紹介されています。イスラエルの民は、しばしばこれらの神々の崇拝に惑わされました。(ヨブ31:26-27;裁き人2:13)カルデアの占星術たちは、新月を将来を告げるのに適した期間と見なしました。(イザヤ47:13)ダニエルの三人の仲間の捕虜の一人は、シャデラクという名が与えられましたが、それは恐らく「アクの命令」、シュメールの月神の名を意味しています。(ダニエル3:12) 一週間の最初の日は、古代の月崇拝の名を受け継いでいます。

                           

三日月型のついたおもり AO 22187  リシェリュー ホール 2 展示6(8)
 

貨幣の単位にもなった(エズラ2:69)この計測の単位は「半ミナ」(248グラム)と示されており、ウルの守護神で月の神シンの象徴である三日月型を呈しています。アブラハムの父テラはこの都市で暮らし、恐らくシンを崇拝したと思われます。-創世記11:27,28;ヨシュア記24:2,14

                           
 

                           

このおもりは、ベルシャザル、バビロンの最期の王に提示された難問を例証しています。:「メネ、メネ、テケル、そしてパルシン。」(ダニエル5:24,25)壁に現われたこの文の最初の語を成す子音は、「ミナ」という語が、「数える」を表すアラム語の語形のひとつあることを理解する助けとなりました。神は日数を数えて、バビロンの王朝の終わりを告げられます。バビロンは確かに「石の山...住む人がいない」所となり、無言の、しかし預言の言葉の正確さの確実で雄弁な証言です。-エレミヤ51:37
 

大いなるバビロンの崩壊と滅び(啓示18:2)は、同様の確信を伴って予告されました。

                           
 

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Carte Début du départementメソポタミア