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メソポタミア
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古代エジプト
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三位一体
鏡, かぶと
古代ギリシャ

古代ギリシャ
パン, エロス,
マルシュアスの死刑
   過ぎ越し
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  シーザーズ
神ミトラ, クリスマス
コンスタンティヌス大帝
最初の本
エジプト
古代エジプト部門
シュリー
ホール1から19
大スフィンクス
ナイル川
ティラピア
ハピ
屋根裏部屋
マスタバの礼拝堂
パピルス
神官文字の文書
ファラオHophra
輪頭十字
アクセサリー
シストラム
遊技盤
巨人
オシリス神
十二宮
ゾディアック
葬祭パピルス
パピルスSérimen
石棺
ミイラ
葬式の花瓶
人動のつり香炉
死者の書
プラトン
雄羊のミイラ
雄牛アピス
エジプトの神々
イシス

  シュリーの方向へ進んでください。半地階に位置するスフィンクスの地下礼拝堂にたどり着くために、中世ルーヴルの展示室を横切ってください。訪問時間:約2時間。
 

ジョン・フランソワ・シャンポリオンによって創設されたこの部門は、2つのコースに従って古代エジプト美術を展示しています。一つは古代エジプトの始まりからクレオパトラまでの年代順のコース、もう一つはエジプト文明の幾つかの面を際立たせたテーマ別のコースです。ここに展示されている幾つかの作品は聖書に関連しています。

                           
 

大なスフィンクス A 23

  シュリーホール1

 

獅子の身体と王の頭部からなる、怪物のようなこの大きなスフィンクスは、タニ、民数記13章22節で言及されているギリシャ語の名のツォアンで発見されました。

ファラオの名シェションク1世(シシャク)は、左肩に見られます。
このエジプトの王については、聖書中で7回ほど挙げられています。

王アメンエムハト2世を模った偉大なスフィンクス

ヤラベアムは、ソロモン王の怒りから逃れるために彼のもとに逃げました。(列王第一11:40)

カルナック(エレミヤ46:25でノ2と呼ばれている)にあるエジプト神殿のレリーフは、シシャクによって征服された、たくさんのユダヤの都市を列挙しています。聖書だけがこの侵略を詳細に述べていました。(列王第一14:25-28)。その文書は、「アブラハムの畑」にも言及しています。これはエジプト文書の中で最も古い族長に関する言及です。

聖書は、700回以上エジプトとその居住者たちに言及しています。エジプト人は、一般的にミツライムという名で指し示されており(創世記50:11脚注)、カナンのこの子らの子孫は、いくつかの詩編で「カナンの国」とも呼ばれたこの地域で優勢であったことを示唆しているようです。シシャクというファラオの名に関しては、5 聖書が最初に伝えていました。

                           
                           

ティラピア・ニロティカ  E 13416   シュリーホール3 展示2(10-12) 
 

ティラピアは口の中で卵をふ化させ、発育するとそれらを吐き出すことから、恐らくこの魚は復活の象徴としてとらえられ、またたびたび表されたのでしょう。エジプトの最初のクリスチャンのモノグラム印、イクチュスという語の起源です。西暦初期にアレクサンドリアの南西の砂漠で修道士が住まわせられた所、ケリアの発掘現場から、新しい信仰と救い主キリストの印である魚の刻印が発見されました。
 

その壁に修道士によって描かれた絵のひとつは、現在ルーヴル美術館に保存されています。十字を基調とした魚が非常にはっきりと見分けられます。(十字架の魚のレリーフOA 4032)

< E 13416                  MA 3034 >
       

ハピ E 4874

         
 

ハピ   E 4874,  ホール3 展示4  

 

豊かな胸と膨らんだ腹部で表されたこのナイルの氾濫の神は、水面に現れる3本のパピルスで髪を結っています。

一年のうちで、神殿の人々も農村の人々もすべてのエジプト人が尊んだのは、ハピ、川の氾濫が土地に広がり始めるころでした。

それは一年で最も暑い時期と一致しました。
 

君主や祭司たちは、年のサイクルの再生を祝って像を神殿のテラスに移動させました。

親や友人たちは贈り物、とりわけ聖なるナイルの水を入れた小さな壺を交換しました。
 

新年の日付けは神殿で変わり、国々へと続きます。緊密なそして意外な類似が、この祝いに関連した習慣に常。

                           

穀物倉  E 283  ホール4展示11

穀物倉の模型  E 11938  ホール16展示3
 

書記官が倉の中に積み上げた穀粒の量を調べます。この模型は、ヨセフの時代にエジプトで猛威を振るった飢きんの時の、創世記が述べる「穀物貯蔵所」を例証しています。
 

ヒエログリフに書かれたアレクサンドロス大王の名前  E 30890    シュリーホール6展示3

   

マスタバの礼拝堂  E 10958

   

マスタバの礼拝堂  シュリーホール 4
    
 

「マスタバ」もしくはアラビア語で長椅子を意味するこの建物は、偉大なピラミッド時代の最も贅沢な墓の上に建てられました。

内部に装飾がほどこされた礼拝所が、故人の魂のために祈りに訪れた遺族と訪問者を迎えました。

死者が永遠に食料を得られるように、テーブルに食事が整えられた状態で彫刻がほどこされていることにも注目できます。

 
                           

エジプト人の宗教の主要な特徴は、あの世での魂の幸福と快適さを保証することへの関心です。亡くなった先祖を敬うことにあるこの宗教的な行為は、聖書の教えに反しています。「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし、死んだ者には何の意識もない」。-伝道の書9:5

                           

神官文字の文書  E 11006  シュリー1階ホール6展示3

パピルスに書いた文書  E 25360  シュリー1階ホール6展示1
 

ヘブライ語の本にあたるセフェという語は、「書士」や「写字生」を意味する名詞ソーフェールに類似しています。神殿の弟子たちだけが聖なる文字、ヒエログリフを学びました。それ以外の人々は、一般的な文字、神官文字の初歩を学びました。 聖書という言葉は、ギリシャ語のビブリア「小さな書(複数形)」から来ており、パピルスの茎の芯の部分を表す語から派生しています。今日原書は全く存在していません。しかし、ヘブライ語聖書の6000ほどの写本の比較に基づく研究は、本文が忠実に書き写されてきたことを明らかにしています。

                           
E 11006   AO 20147 E 25360
       

聖書の普及を助長し、またそれらの参照を容易にするために、一世紀のクリスチャンたちは、羊皮紙の巻き物から紙の本に置き換えて、コーデックス(冊子本)の使用と発行の分野で草分け的な業を行ないました。最も古いクリスチャンの写本は、エジプトの乾燥した気候下で保存され、現在よく知られています。
 

聖なる書物の保護とその伝達にすばらしい配慮がなされた45ことは、「草は枯れたとしても、わたしたちの神のことばは永久に存続する」ことを確証しています。-イザヤ40:8;ペテロ第一1:25

 

輪頭十字を持った女神マート  E185   ホール7展示9 
 

記念碑や墓石は、多くの場合輪頭十字で飾られています。エジプトの祭司たちは、太陽神の祭司としてのその権威の象徴である「クルクス・アンサータ」の十字架を手に持っていました。この生命のしるしは、上端に卵形の取っ手の付いた「T」の字に似ており、男女の生殖器の結合した状態を連想させます。
 

キリスト教の到来のずっと以前に、エジプトの十字架は神聖なものとして見なされていました。輪頭十字は、ファラオ時代の芸術に影響された、数少ないコプトのモチーフの一つです。コプトの墓石調査は、エジプト人たちがクリスチャンに十字架を伝えたことを立証しています。輪頭十字で飾られた壁掛けの一部(AF556)、コンスタンティヌス聖油の留め具に見られる輪頭十字もご覧下さい。
 

シュラウドの女性として知られる「輪頭十字の女性」AF 6487

輪頭十字  E 32171   ホールB展示C5

輪頭十字を持った女神マート - アンク 

       
E185      AF 6487   Denon Entresol salle B vit M7
     

ブロンズ製の家具の脚部   E 17107 bis

ホール7展示12
 


 

アプリエス王のスフィンクス  N 515 
ホール29展示13 

                           

ファラオ・ホフラは、ヘロトドスにアプリエスと呼ばれています。西暦前607年にユダヤ人がエジプトに逃れた後、預言者エレミヤは彼らに差し迫った災いを警告しました。「いまわたしはエジプトの王ファラオ・ホフラをその敵たちの手に渡す」- エレミヤ44:30

                           

アクセサリー  ホール9
 

ユダヤ人たちは、奴隷状態から離れる際に「エジプト人に金の品や銀の品を求め」ました。(出エジプト記12:35)このことは、このホールに展示されている数多くの装飾品を見るときに思い出されます。

                           
       
       
                           

< シストラム  E 678,E 681   シュリーホール10展示4
 

この音楽の楽器の名は、聖書中に一度だけ出てきます。それは「ぶるぶる震える」という意味の語根から派生しています。(サムエル第二6:5)。この種類のがらがらは、今でもエチオピアでミサの間用いられています。
 

遊技盤  E 913    シュリーホール10展示7
 

すごろく、その名が「通路」を意味する「セネト」ゲームのミニチュアは、初期の王朝を実証しています。勝者は、一番最初にボード上の駒を終わりに運んだ者でした。これは、敵対する悪霊たちにもかかわらず、あの世で出世を得るための魔術の手段でした。ペンテコステのカトリックの習慣である石けりで、遊技者はいつも光と太陽の出現に到達しようと試みました。

                           
 

アメンホテプ3世の巨像の頭と足  A 18-19

シュリーホール12

 

アメンホテプによって書き直された、まさに、ファラオたちの正直さの欠如の際立った例です。

台座には、ファラオがうなじを踏んでいる征服された人々のリストがあります。

詩編18:40をご覧ください。

                           
   

 ►   続く二つのホールを横切って、オシリス神の方へ左の階段を進むか、または黄道十二宮図の方へ右に進んでください。

   
                           

息子のホルスと王の間のオシリス神  A 12   シュリーホール12 

君臨中のファラオは単なる神々の代表者としてではなく、神と見なされました。ファラオはオシリスの後継者で、ハヤブサの頭をしたホルス神の化身でした。ファラオの言葉は法律でした。モーセに託された任務がいかに難しいものであったかよく理解できます。-出エジプト記5:1,2

   

息子のホルスと王の間のオシリス神

A 12  

シュリーホール12 


 

君臨中のファラオは単なる神々の代表者としてではなく、神と見なされました。

ファラオはオシリスの後継者で、ハヤブサの頭をしたホルス神の化身でした。

ファラオの言葉は法律でした。

モーセに託された任務がいかに難しいものであったかよく理解できます。

-出エジプト記5:1,2

                           

ダンデラの黄道十二宮図  D 38 AE   ホール12 bis
 

エジプトの神統記の中で、ヌートは天空を擬人化した女神です。彼女は一般的に大地の上に身をかがめた、大変長身の女性の姿で表現されています。時には、並外れた雌牛の外観を帯びています。腹に星を取り付けられています。ここで天を持っている女性たちに注目してください。この想像上の概念は、明らかに聖書中に示されている、簡潔ながら正確な宣言と対象をなしています。「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし、地を無の上に掛けておられる。」-ヨブ26:7
 

占星術は、バビロニアの祭司達が黄道十二宮を確立した西暦前二千年頃の、占いの技法の重要な位置を占めました。この語は「動物の環」という意味のギリシャ語に由来しています。これら黄道十二宮は、それぞれの星座にちなんで名づけられましたが、今日では元の星座と合致しません。星の崇拝は、バビロンにおいて特に主要なものでした。神の僕たちは、天体の崇拝に対して断固とした立場をとりました。

                           
     

ダンデラの黄道十二宮図

     

彼らは聖書の観念を持ち、人間を支配することはないが、光をもたらしたり一時的な目印ともなる、単なる物質的な物体と見なしました。忠実な王ヨシヤは「異国の神の祭司たちや、バアルや太陽や月や黄道帯の星座のために犠牲の煙を立ち上らせる者たちを廃し」ました。(列王第二23:5)。ここで「黄道帯の星座」と訳されている表現は、聖書中にただ一度だけ出てくるヘブライ語のマッザーロート(mazzalôth)の複数形から来ています。
 

興味深いことに、黄道十二宮はキリスト教の大聖堂にも取り入れられており、パリのノートルダム大聖堂では、それが左側の戸口にあり、中央の巨大なバラ窓に描かれたマリアを囲む形になっているのを見ることができますし、ブルゴーニュでは、ベズレーのバジリカ式聖堂の外壁に見ることができます。美術の歴史家たちは、ずっと以前からこの影響力を認めていました。
 

以下もご覧下さい。
 

アトラスの肩の上の天体  OA 10869  リシェリュー1erホール23

天体  MA O824  
 

この天体は、星座の描かれた図形で中東の最も古い例です。古典古代は宇宙を固定された球体としてイメージしました。恒星は定められたところに配置されており、動かないと考えました。イスラム教世界はこれらのコンセプトを受け継ぎました。聖書の記述はそれと異なります。

                           
     

  ►    地下礼拝堂に降ります。

     
                           

オシリスへの賛歌  C 286  ホール13展示9
 

オシリスに関して明確なほのめかしの見られる、最も古いエジプト文書の一つです。このよく知られている死者の神は、ナイルの水の中で絶え減水後に再び生じる、植物の循環を象徴しています。この再生の思想は、オシリスの像をあの世での魂のよみがえりの保証とするのに一役買いました。オシリスはギリシャの神ディオニソスやバビロンのタンムズ神と同一と見なされました。(113ページをご覧ください。)

 

セリマンの葬儀のパピルス古文書  E 17400  シュリーホール13展示11
 

文書に大変貧しく、このパピルスはとりわけ死者の書をもとにした表現で飾られています。上部にある、女神たちに見守られたミイラの上を飛ぶ、一羽の鳥の形をした死者の魂に注目してください。エジプト人にとって死は単なる命の停止ではないので、この「魂」は鉤十字の上の部分を持っています。バビロニア人のように、彼らは魂の不滅を信じました。これらの絵は、ノートルダムの中央ポーチにある「最後の審判」の場面も思い起こさせます。

セリマンの葬儀のパピルス古文書

セリマンの葬儀のパピルス古文書              
                           

石棺   ホール14
 

エジプト人にとって、墓という言葉は家という言葉と同じでした。それゆえに、生きている間の住まいと死後の住まいとがありました。棺は単なる遺体の補足的な保護ではなく、現世の模型でもありました。しばしば棺の内部に黄道十二宮図を見ることができます。それは故人の魂が進むべき道順を示した地図の働きを担っています。

                           
sarcophages louvre
 

石棺

 

紙器〗で覆われたミイラ  N 2627  シュリーホール15展示1 
 

エジプト人が遺体を防腐処理したのは、主として宗教的な理由のためです。彼らの死後の命の概念は、物質世界とのつながりを保ちたいという願望と関係があります。彼らは、肉体は永遠に用いられ、再び活力を注がれると信じていました。

                           
       

ミイラ

       

聖書の中ではっきり香詰め保存と呼ばれている例は二つしかありません。そのどちらもエジプトで行われました。「その後ヨセフは自分の僕たち、医師たちに命じて父の遺体の香詰め保存を行わせた。それで医師たちはイスラエルに香詰め保存処置を施し(た。)」(創世記50:2)。著名な人物であったヨセフの遺体の香詰めの保存は、聖書中に見られるこの処置に関する最後の言及です。
 

ラザロの埋葬の準備は、ユダヤ人の習慣に遺体の長期保存を意図した、入念な香詰め保存が含まれていなかったことを示しています。(ヨハネ11:39)。埋葬のための準備は、香料や香油だけが用いられました。これはイエスの遺体の場合と同様です。(ヨハネ19:38-42)。忠実なヘブライ人たちのように、クリスチャンは魂が死ぬことや、体は塵に戻ることを理解しています。- エゼキエル18:4

                           
Momie du musée du Louvre
                           

ホレムサフの4つの「カノプス」の壺  E 18876  シュリーホール15展示1
 

これらの壺はかつて、布で包まれ、樹皮の中に浸された内臓を収めていました。ミイラ化(mumiyah,樹脂)と遺体の防腐処理は、たとえ解剖学や生理学の基礎知識が限られていたとはいえ、医学の知識上重要な媒体でした。
 

聖書の最初の幾つかの書と同時期に書かれたエジプト人の治療学を集めた文献、エーベル・パピルス(西暦前1550年頃)によると、医療知識はまったく経験的なもの、多分に魔術や迷信が染み込んだものでした。傷の治療に有効と見なされた医者の処方は、人糞を塗布するように勧め、別の処方は「人の体に取り付いている悪霊をうんざりさせる」ための呪文と関係していました。モーセは「エジプト人の知恵をことごとく教授された」(使徒7:22)にもかかわらず、彼が書き記したものにこれら効果のない、危険な治療学の影響は全くありません。そして、出エジプトの後にイスラエル人に要求された衛生処置は、エジプト文書に書かれた数多くの慣行とは驚くほど対照的です。

                           
   
                           

律法には、感染症の蔓延の予防措置が含まれていました。40の項目を引用できますが(レビ13:1-5)、糞便を埋めること(申命記23:13)、予防措置と感染した場合の浄化(レビ11:27-38)、8日目 に行われる割礼 (レビ12:3)、禁じられた食べ物(レビ11:4-8)などがあります。
 

これらの高い衛生基準は、精神的健康にも関係がありました。性道徳の分野の要求を守ることは、有益な保護となりました。出エジプト記30:14、レビ記18章。聖書の声明の厳密さと、保健衛生の法25のようなその時代にしてはたいへん進んでいる知恵は、周囲の国家の医療とは驚くほどの対照をなしています。ダビデはその律法の考案者を「すべての疾患をいやす者」と呼びかけてこう述べています。「律法は完全で…経験のない者を賢くする。…それを守ることには大きな報いがあります。」-詩編19:7,11;103:2
 

人動のつり香炉  E 14687  シュリーホール15展示2
 

「神々は芳香を愛される」とエジプト人はいいました。アームの中央の、今日失われている小皿は、先端の殻斗(かくと)の中で燃やした香の種の予備を収めていました。香料の取引に関するほのめかしが創世記37:25に見いだせます。芳香性のゴム質の混合物は、エジプトから出るイスラエル人に、ただ神聖な目的にのみ定められた製法27に従って用いることが命じられました。(出エジプト記30:34-38)。クリスチャンの体制では、「香は聖なる祈りを表してい」ます。-啓示5:8 

作者不明の死者の書

 

作者不明の死者の書   N 3073   

シュリーホール17展示2

 

死者の書は人間の宗教書で最も古い部類のものです。この選集と呪文はあの世で魂を導き、魂を脅かす危険から保護する目的がありました。

石棺もしくはミイラの細い帯に差し込まれたパピルスは、死後の魂の長旅が書かれています。

                           

125章の死者の裁きに注目して下さい。あの世での魂(バ)、霊(アカ)と体の一致の必要性が特に強調されています。

犬の頭をしたアヌビスは、魂を表した故人の心臓を量りの左の皿にのせ、羽根で象徴されている真理と公正の女神マートが、もう一方の皿にのせられます。トトがオシリスに報告するまえに結果を記録します。もし好意的な判決であれば、その魂は神々のそばで至福を味わいます。
 

エジプト人は、人を三つの実体に分けました。魂の不滅性の信仰とそれらの変形は、バビロンの同じ概念によって形作られました。死は、カルデア人の神学者たちによって、別の形の命への移行と見なされました。これは哲学者プラトン33の西洋思想の中で入念に作り上げられ、発展したギリシャ精神の産物でもあります。一方で、復活の希望はユダヤ人の思想に属しています。

                           

魂の不滅の観念は、聖書のものではないようです。聖書で使われている原語(ヘブライ語ネフェシュ、ギリシャ語プシュケー)は、常に物質の、触知でき目に見える、そして死すべき地の創造物を指し示して用いられています。

以下もご覧下さい。
 

プラトン MI 655   リシェリュー2èホール6
 

哲学者プラトンの肖像  MN E415   ドゥノン
Rdcスフィンクスの中庭ホール31
 

聖アウグスティヌスの頭  RF.1640 (356-7)  
ドゥノンホールC展示32
 

魂は非物質化するといった教えは、オリゲネスと聖アウグスティヌス(354-430)の熟考の下でのクリスチャン哲学の長い発展の産物です。この神学者、父で教会の博士は、告解と神の都市の考案者です。

 

雄羊のミイラの頭

雄羊のミイラ  E 3089  シュリーホール19展示9

雄羊のミイラの頭  N 2892   展示8 
 

エジプトは多神教が行なわれた、極端に宗教的な国でした。動物が象形文字にも崇拝にも極めて重要な位置を占めていたところは、古代エジプト以外どこにもありません。神々の多くは、体は人間で、頭部が動物や鳥の頭をした姿で表わされました。雄牛は特にアモン・ラーやクノウムを表わすのに用いられました。
 

イスラエル人によって捧げられた犠牲の大半は、エジプトにとっては非常に不快だったであろうことは、モーセがファラオに「エジプト人が忌まわしく思うものをその目の前で犠牲として捧げるとすればどうなるでしょうか。彼らはわたしたちを石打ちにするのではないでしょうか」と述べたことから分かります。(出エジプト記8:26)。

 
     
                           

重要な論議です。幾十万体もの動物をミイラにした、エジプト人の迷信深いこの崇拝は、神によって偶像崇拝の一つとして常に禁じられています。(出エジプト記20:1-3;ローマ1:22,23)。いずれにしても、モーセの著作の一神教思想はエジプトの影響に由来しているのではないかという言説には全く根拠がありません。

     

雄牛アピス

     

雄牛アピス  N 390 

シュリーホール19

 

生きたアピス牛はメンフィスで飼われており、オシリス神の化身として崇拝されていました。

それはしばしばプタハ神と結びつけられました。

雄牛の死に対しては、公の服喪がなされました。
この偶像崇拝は、確かに金の子牛崇拝に屈したイスラエル人に影響を与えました。
- 詩編106:19;使徒7:39-41

 
                           

神々に関する小辞典   ホール18展示1
 

エジプトの十の災いは「エジプトのすべての神々」に対する神の裁きの表明でした。(出エジプト記12:12)。

こうしてモーセは、「YHWHよ、神々の中にだれかあなたに並ぶ者がいるでしょう」と歌いました。出エジプト記15:11
 

ハピ  ナイルの神。川の水が血に変わった最初の災いと関係しています。
 

ヘクト 

蛙の頭をして表されたエジプトの女神。多産と死後の再生の力強い原動力のシンボル。二番目の災厄(出エジプト記8:2)も神々を辱めました。
 

ハトル   

死者の女王で、死者が天に昇るのを可能にするはしごを持っています。とりわけ彼女の誕生日であった元日に、盛大な祝いをもってほめたたえました。4番目の災厄の際、あぶがエジプトの地を損ないました。(出エジプト記8 :20-24)。ヘブライ語の言葉では「あぶ」または「マグソコガネ」と訳されました。エジプト人だけが、彼らが神聖視していたこれらの昆虫によって荒らされました。この雌牛の女神は、畜類を襲った災厄(5番目)にも辱められました。

 
 

ヌート   雌牛の姿をした天空の女神。
 

アピス   神聖な雄牛。オシリス神の化身と見なされました。
 

イシス   

効しがたい魔術に対する守護女神。他の神々と同様に、6番目の腫れ物の災厄 を防ぐことはできませんでした。
 

プタハ   宇宙の創造者。治癒者の力で知られています。
 

トート   月と魔術の神。トキの頭もつ者として表されています。
 

レ  太陽の神。闇の災厄(9番目)と関わりがあります。
 

ホルス  天空と光の神。
 

ゲブ   

大地の神。3番目の災厄の際に、魔術を行う祭司たちは「地の塵」をぶよに変 えることができず、この神に力を与える能力がないことが明らかになりました。-出エジプト記8:16 
 

ミン    

収穫の神であり作物の保護者。右手に稲妻を持っています。彼は雹の災厄 (7番目)といなごの災厄(8番目)を阻止できませんでした。-出エジプト記9:22;10:4
 

アモン  

ファラオたちは、この神々の王の子らであると自負していました。10番目の災厄の際の長子の死は(出エジプト記12:29)、彼らにとって最高度の恥辱でした。圧倒的な敗北でもありました。
 

王家の守護者ベスも圧倒的な敗北を被りました。ヘロドトによれば、エジプト人は人類で最も信心深かったようです。それぞれの都市に「都市の主」という称号を持つ地域の神々がいました。この500以上の異なったエジプトの神々は、バビロンからの相続物の痕跡を明らかにしています。

女神イシュタル

   
E 3637  

AO 17000

  RF 3528
 

シュメール人にとって、イシュタルもしくはイナンナは戦いの女神であるのと同時に、愛の神の化身、性と豊穣の支配者です。彼女は中世メソポタミヤにおいて、11世紀の最初の都市国家の出現以来崇拝され、母-女神の祖先と見なされています。またイシュタルは、エジプトにおいてのイシス、ギリシャにおけるアフロディテ、ローマのビーナス、フェニキアのアスタルテ、聖書中のアシュトレテです。(列王第一11:5,33)月の形で描かれ、月の神のシン、太陽の神シャマシュと共に三位一体を構成しています。

イシュタルの崇拝者たちは「聖なる処女」と呼んで、苛立つ神々に取り成しをしてくれるよう祈りました。バビロンの母子崇拝は世界の隅々にまで広がりました。赤子を抱いた処女の象徴は、エジプトでまたカトリックと対抗する宗教でもよく現われており、仏教は共通のこの源によって説明がつきます。このバビロンの原型は、後の母女神崇拝の源です。バビロンの宗教の特徴は今日の宗教の中に偏在しており、その源となっていることを明かししています。
 

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Carte パレスチナエジプト- 1階